MOVIE AND VIDEO

 

ファッションモデルって、なかなかストイックな仕事です。
良いものを見たり、読んだり、触れたりしながら、心の中の引き出しの数と質を、スキルアップして、自分自身をさらにベターな状態にし続けていくことが、大切。
そんな中で、映画やビデオの映像は、直接、感覚をしてくれる心と頭と目のビタミン。これは、独断と偏見でお勧めなんて思う映画やビデオ、監督や俳優を
思いつくまま書き連ねてみました。
きっと貴方の感性や美意識のお役に立つはずと思います。
時を経ても普遍的価値を持つ、映画達と思います。
      ■■■ 

愛の嵐
テレビを見ていたら、陽が差し込む屋内プールのプールサイドで、
60台後半から70歳位に見える老年の女性がインタビューを受けていました

ヨーロッパのドイツかその辺の国の番組です。
開襟の黒いサテンのブラウスの胸に一連の真珠のネックレス、
黒いパンツを履き、浮き上がった血管の筋張った
手にタバコを挟んでいます。豊かに波打つグレイヘア、
時折、煙を注視しながら、インタビュアーに顔を戻して、
話す仕草の凛とした存在感。
それは、今から30年ほど前に、ルキノビスコンティの映画には
無くてはならない卑猥で冷徹、崩れて落ちていきそうな精神生活、
あの危なそう
な俳優のダークボガードの相手役として「愛の嵐」の
ヒロインを演じた憧れのシャーロット・ランブリングでした。
彼女は30年前から何時も他の女優たちとは一線を画する存在と
魅力に満ちていました。それはファッション人間には
もっとも畏敬の念を持って迎えられた女優の代表的存在でした。
そのシャーロット・ランブリングがユダヤ人の強制収容所で
明日の命も知れないまま、自己のプライドも何もかも棄て、
ただ生きる為にナチスの将校達の慰み者となって、
怯え震え、退廃の極致の中に今日を今日だけは生きる権利を
獲得し、サスペンダーだけの裸の胸、ヒットラーユーゲント達が
身に付ける暴力的・狂気の象徴の様な帽子とつりズボンで
歌いながら仮面を付け薬と酒に溺れるナチス将校達の
宴の席で絶望した様なエロチシズムに満ちた歌を歌い、踊る。
髪を切られ、中性的な姿で見せた危険な美しさ。
戦争が終わり、収容所から解放され、今は
富裕な男性の妻として、豪華なファッションに身を包む
シャーロット・ランブリングのモデルが憧れるそのファッション性。
そんな彼女が時を経て、すっかり老年の境にある姿を
衆人にさらしていながら、その時の彼女の
少しの媚も老年に達した引け目も全く無い
インテリジェンスに溢れたある種の圧倒的な美しさ。
東洋人の様に少し思い瞼の奥のとび色の瞳。
その少し重そうな瞼を眼力で持ち上げるようにインタビュアーを見る
彼女を見ていると、”美しい人はこの様に年を取るべきである”
”年を取っていくことは、何も不幸な事でも
空しいことでも腹立たしいことでも
淋しいことでもない”と意を強くさせてくれる人。
日本人は余りにも他人や物事の決める尺度を年齢に
求めすぎる。それは、きっとこの今の日本が
文化的でなく、美意識が無く、
人間への尊厳の年を消失し、愚かになったせいであると
思う。いずれにしても、
「愛の嵐」は素晴らしい。一見の価値ありです。


DREAM GIRLS
2月23日に封切ったばかりの映画「DREAM GIRLS}」を見てきました。
今から25年前、今は無き300年に一人の染織家と言われた、
久保田一竹氏に連れて行ってもらいNYのブロードウェイで見た
「DREAM GIRLS」の初演・初日。
こうして、25年ぶりに映画となって日の目を浴びた「DREAM GIRLS」。
心の底から、一竹先生の何か新しい芸術を生み出す為に、我々に
目に見えるもの、見えないものの多くの素晴らしいものを
与えてくれようとしてくれた深い心と愛情に今更ながら感謝するばかり。
恩返しもできぬまま、別れてしまい、もう再び会う事も叶わないものの、
きっと来世でお礼が出来るように、また今生で受けた思い遣りの心に
少しでも甲斐があるように今を頑張ろう!夢を捨てず、希望を胸に
歩き続け、心に誓ったことを必ず実現しようと思うのです。
また、DREAM GIRLS の映画の内容もそんな気持ちを改めて喚起する
物です。優れた演技者とスタッフ・楽曲・内容。
浮ついてカッコだけのJ.POPとは比べ物にならない本当の歌・歌唱。
人物の一人ひとりの存在感と魅力、心の内面。深く深く感動し、
帰り道に早くももう一度チケットを買って見直したい衝動にかられる
映画でした。かつてのミュージカルの中の3指に入る素晴らしい映画。
また、アカデミー賞の候補である、助演の男女(エディ・マーフィと新人
の黒人女性)の素晴らしさもさることながら、主役の
ビョンセのなんと美しく
魅力にあふれカッコ良いことか!!
かつて、これ程に美しい黒人女優・歌手を他に知らない。
華やかで、オーラにあふれ、それでいて珍しく控えめ。
控えても、一歩後ずさりしても、尚更に美しく光る珍しいスター!
もうすっかり、今更ながらビョンセに夢中になるのです。
そうして、改めて恩師、久保田一竹氏から受けた恩と
返せなかった恩返しの辛さを胸に感謝で一杯!
空に向かって「有難う御座います!」と言うばかり。
皆さんも大切な人を粗末にしないように、大切にすることを
忘れないで!人の心はお金じゃ買えない・人の愛は人生の宝物です。
 

                 007カジノロワイアル                                 ご存知、ジェームス・ボンドの新作見てきました。 
アクション映画としては、やはり超一級の出来で、
映画が始まるまで、訪れた睡魔で、眠る準備にいそしんでいた所、
眠るどころの騒ぎじゃない!手に汗握るアクションに、
2時間半の上映時間中、一睡もせずに見通しました。
そして、今回の007は、過去のそれと違って、ただのアクション映画に
終わってはいません。
内容が、濃く、そして、ボンド役の役者が凄いのです。
まず、007で必ず出てくるボンドガールとのラブシーンは、
嘗ては、多分に、好色なボンドのお遊び風であったものが、
今回は、純情で一途な命を掛けた一大ロマンスで、
ファイナルでのボンドガールとの別れのシーンは、
名画「アビスABBYS」の主人公の男女の別れを決意したシーンに
匹敵するかの名場面!
そして、肝心のジェームス・ボンドは、今までなんと言っても、
ショーン・コネリーには、ロジャームーアもジェームス・ブロスナンも
敵わなかった。
常に、ショーン・コネリーの残像を踏襲したり、打ち消したり。
結果的にセクシュアルで八方破れのボンド像は、実現できなかった。
ところが、今度のボンド役者は、スクリーンの初っ端には、
既成概念が邪魔して、否定的にみていたものの、
やがてボンドが人柄があり、生き物として人間として、
リアリティを持ってきて、やがて映画の中盤も過ぎると
やたらこの名前も知らないボンド役者に感心するばかり。
そして、何よりも感心させられるのは、服が似合うこと、
加えて、決して美男子でも貴族趣味的でも無いのに
気障な所など微塵も無く、男として、”お値段が高い男”と思わせること。
そん所そこらに居る安物の男とは違う、豪華な男であるという事に
魅了させられるのである。
強くて、傷つきやすくて、純情であること!
そんなボンド像は始めて、お目にかかりました!
また、ボンドガールは、かつては、ボディラインと容貌だけは、
野生的なものの、ただセクシュアルと言う感でしたが、
今回のボンドカールは、初めて知的。
イギリス風ですから、フランス人やイタリア人の様に、
洒落てはいないけれど、厚化粧とノーメイクで、
女性の美しさの中の、勝負と純情をみせます。
ラストの別れのシーンは、筆舌に尽くしがたい
名場面ですけれど、小賢しくない、真実身につけた品性と、
そして知的であることが、とても素敵に見えたものです。

[イブラヒムおじさんとコーランの花たち]
フランス映画には、埒があかない男と問題を抱えた男の二人組みで、旅に出る話が良くあります。
数年前にも、女性に棄てられた中年男性とダウン症の青年が、
旅をする[八月]と言う映画がその主題曲の美しさと、感動的な内容で、
我々の感涙を絞りましたが、この映画も一人の老人と16歳の少年の
旅の始まりと終わりを描いた映画です。
イブラヒムおじさんには、数十年前、若く美しいアラビア青年として、
ハリウッドに渡り、多くの女優と浮名を流し、ハンサムの名を
欲しいままに、[アラビアのロレンス]や[ドクトル・ジバゴ]で
主役・準主役を演じた名優オマーシャリフです。
数年前、俳優として、すっかり落ち目となり、日本映画で、
吉永小百合の相手役として来日し、
その惨めな初老の姿を世の中に晒し、時の移ろいと人の身は、
正に「諸行無常」を感じさせたものでした。
ところが、さらに時が流れ、すっかり年老いたオマーシャリフが、
老人としてイブラヒムおじさんを演じ、その姿の素敵さに驚きました。
年を取る事は、ある意味で視覚的「美」に決別を告げる事ですが、
数年前の初老の惨めさ・破綻を感じさせる姿とは違い、
神々しく、ある意味美しく、この様に年を取る事が出来たら良いな!
と思わせてくれます。16歳の少年は、貧しいユダヤ人ですが、
この少年がまた、少年が少年である事、青年が青年である事の
美しさ、未熟さ、素直さを出します。
そして、年齢を越え、互いの間に生まれる友愛と信頼関係、
年長者が年少者に押し付けではなく、物事や人生の機微を
教えていく様、年少者が年長者に対して示す敬意に、
ありうべき深い哲学と愛情を感じさせられます。
人生は、一生懸命誠実に、柔らかに、長く生きる事の素晴らしさを
教えてくれ、現代の日本の人間同士の不信感の螺旋模様を
嘆き・反省せずにはおれなくなる映画でした。

アレキサンダー
今が旬のコリン・ファレルが、3ヶ月の肉体改造で、逞しい若きアレキサンダー大王として、スクリーンに現れる。
アメリカでは2005年のワースト・ナンバー・ワンの映画に選ばれたとか。
理由は、コリン・ファレルが弱々しくアレキサンダー大王には見えない事、CGを多用してのスペクタクル・シーンが地味な事、主題にアレキサンダー大王が同性愛であった事の描写が主流をなしており、一般的アレキサンダー大王像が満足されない事、等がその理由との事である。
これを雑誌等で目にして、あまりの意外さに驚かされた。
見て、暫くたってまた見たくなる深さを持った映画であり、素晴らしい映画と感じたからである。
アメリカは今、常識と道徳観が以前に比し、厳しく右派の意見が強くなり、そう言う正しい、ノーマルな生き方と称する人々が多数を占め、彼らからは、この映画が気色が悪いそうである。
ちょっとオーバーかも知れないが、芸術に対するこの無理解さは、自由の国アメリカも行く先が案じられると言う感さえする。
彼らにとって、ギリシャ・ローマ時代のの大歴史スペクタクル映画は、何時までも「十戒」や「ベンハー」でなければ、気が済まないのであろうか。
実際、この映画は、歴史上、勉強になるところが多々あり、コリン・ファレルのアレキサンダー大王も確かに従来のこのタイプの映画にはありえない、ハムレット的な強く・弱く・悩める性格像であり、それがまたこの映画を深い鑑賞に堪えるものとしているのである。
歴史上類稀な業績をし、若くして死したこの勇者が、この様な人間臭い混沌と煩悶を抱いて生きたのかと、思わせれる説得力がオリバーストーン監督のアレキサンダーにはあったのである。
多くの批判的世評に対して、この映画は素晴らしいと反旗を振りたくなるのも、ファッションと言う自由で、偏見にとらわれない世界に身を置いている性であるかも知れなく、飛躍すれば、ファッションに携わる人々は、平和と自由、人間の尊厳と平等を守る事が出来る人種の一角であるかも知れないと意を強くさせる賛否両論のアレキサンダー大王観なのである。
是非、皆さんもご覧下さい。


めぐり合う時間たち
2年前に二コール・キッドマンがアカデミー賞をこの作品で取ったので、見られた方も多いと思う。
キッドマン、メリル・ストリ−プ、ジュリアン・ムーアの3大女優の競演による演技力の素晴らしさもさることながら、深く人生を考えさせらる、今後何時までも残り、その都度、その時代の人々を感動させられる映画だと思う。
深く、切なく、胸に迫る。
感受性が強く、研ぎ澄まされた神経の持ち主達の少数者である事の心の傷と不幸。そして、尚且つ、生きていくことを選択したものの
ひたむきさ。
あれこれと書く事があまりに多くなってしまう内容ある映画。
ジュリアン・ムーアの着る服やメイクアップが美しく、ファッションの素敵さも楽しめる。

ルキノ・ヴィスコンティ

[山猫]、[ベニスに死す]、[地獄に堕ちた勇者ども]、等、ルキノ・
ヴィスコンティの造る映像には、貴族趣味の豪華な衣装が登場するものが沢山あります。
オートクチュールの再燃が謳われたりすることが、ここ最近、良く耳や目にしますが、高く繊細な感性に裏打ちされた美意識は、オートクチュールの素晴らしさ、ファッションと言う外見が内面を物語り、ファッションと言うものが、兎角、外見だけのものであると見やすい、日本社会の文化レベルに”否”を提言する。
モデルになったら、絶対に目を肥やしておきたいもの。
女性ばかりでは無く、もしかしたら、それ以上に男性に向けられた、美の基準は、高く、複雑で、より良い仕事をしたいと思うモデルの人々は、男女性とも見るべきです。
また、ヴィスコンティの助監督をしていた[ロミオとジュリエット]で知られるフランコ・ゼフィレリの映画も沢山ビデオが出ており、必見です。
また、ヴィスコンティと同時代の映画芸術の美学を競った、フェリーニ、バゾリーニの作品は、普遍性を持った芸術家の感性と創造性を今更ながらに痛感させてくれます。
兎に角、出てくるヒーロー・ヒロインは、何処までも美しく、二度と戻らない、美の極致の瞬間です。

パリの恋人
オードリー・ヘップバーンがユーベルト・ジバンシーの服をパリを背景に次から次へと見せてくれます。「ローマの休日」でも「ティファニーで朝食を」でも、いつもファッションセンスに溢れたその容姿や気取らないのに、おしゃれで、素敵でエレガントな人柄に魅了されて、やはり、オードリーヘップバーンは、女性モデルの鏡です。どんなに悪そうな女性像が流行する事があっても、女性は、やはり、こうであってほしいと思わせる普遍的な魅力が彼女にはあり、モデルになった以上、絶対、夢を実現していく上で、永久のお手本です。

ハンニバル
突然、打って変わって恐ろしい映画を書きましたが、芸術と美意識の局地のフィレンツエを舞台に、今をときめくグッチとアルマーニの服が、肝心要の所で出て来て、今更ながら、デザイナーの服の力が、役柄に落とす深い印象を強く感じさせられます。
危ないジュリアン・ムーアのGUCCIの黒のイブニング、そして、レクター教授、アンソニーホプキンスのアルマーニ。ストーリーの陰惨さを、何段階もレベルの高いものにし、とかくデザイナーが頑張った映画は、ファッションばかりが浮き勝ちなものになりやすいのにそれが無い。女性モデルと大人の男性モデルは、見て参考になると思います。カジュアルばかりがカッコ良いのじゃない。

セル
ティエリーミュグレーが監督をやったのかしら、と思わせる広大な砂漠の稜線を、三宅一生さんと共に一時代の日本のファッションコマーシャルの時代を作り、映画「ドラキュラ」でアカデミー賞の衣装デザイン賞を受賞したアートディレクターの石岡瑛子さんが手がけた衣装を、ジェニファー・ロペスが纏い、幻想的に現れる。残酷シーンがあるためにR指定となっているけれど、全般に登場する石岡さんの衣装のインパクトの強さ、三宅一生さんの「ボディワークス」を思わせる
ボディウェア。この後、オリンピックのユニフォームを数多く手がけたのも、伺い知れる片鱗がこの映画のなかにあります。ファッションを愛す人は、芸術も愛する事を知らされます。

ルーという女
ずっとずっと昔の、フェイ・ダナウェーが若かった頃の映画。今も、ビデオ屋さんに一本や二本は、あります。
主役のフェイ・ダナウェーが、「俺たちには明日が無い」の数年後に撮った映画でモデルを演じています。前述した石岡瑛子さんのディレクションで、20数年前、パルコのポスター・CFでモデルをしたフェイ・ダナウェーですが、本当に当時のトップモデルの片鱗を感じさせる姿で、画面に現れます。
この映画がとても好感を持てるのは、とかく映像がファッションやモデルを描く時、類型化した視点で、表面的に捉えがちな事が多い中で、モデルと言う職業につく人のデリケートな神経、ピュアな精神性、何ら通常人と変わらぬ人間としての捉え方をして心の深部にまで入って描いている事です。
モデルという職業を大切に思うモデルたちに、精神的に元気な時に、見てもらいたい映画です。そうでない時に見ると兎角、情感の強いモデルは、妙な影響を受けてしまいそう。

フィフスエレメント
ミラショビッチとどうして出演したのか、この役をやろうと思ったのか分からないブルース・ウィルス主演の映画で、全篇、ジャンポール・ゴルチェの衣装がコレでもかコレでもかと出てきます。ファッションの勉強の為に一助となります。
 
フローレス
ロバート・デニーロ主演のとても素敵な映画です。警察官で、男の中の男のように”ヒーロー”であったロバート・デニーロがある日、突然、脳梗塞となり、半身不随になってしまう。住んでいるアパートの中庭を挟んで、ドラッグクイーンがおり、男らしいデニーロと女らしいクイーンは、到底、理解しあえない侮蔑的な関係。そんな両極にある二人が、助け合う羽目になって、ストーリーは展開していく。ゲイや娼婦、人種、様々な立場ある人々がからんで、ヒューマンなドラマが展開される。兎角、人は、自己の価値観の優越性を自己確認するために、自己よりも下位にあるものを馬鹿にし勝ちなところがある。
しかし、主人公は真の優しさと純粋性が、最も軽蔑していた社会の底辺にある人々によって教えられる。人が一人生きていくうえで、
最も大切なものがなんであるかを。
ファッションは、ゲイとは深いかかわりがある。創造することは、既成概念の固執からは、生まれない。美しいもの、豪華なもの、優しいもの、さびしいもの、凄いもの、切ないもの。それらの創作を促す感性を、ゲイの人々は持っている。モデルは、平凡な、並みの美意識では、務まらない。ゲイに憧れられるようでなくては、素晴らしいモデルにはなれない、と言うのは、言いすぎだろうか?
彼らは、一様に、オードリ・ヘップバーンやエリザベス・テイラー、グロリア・スワンソンなど、一流の女性好み。
みそぼらしい、貧相な人柄や心意気の女性には目もくれない。
この映画の他に、”プリシラ”と言う、有名なドラッグクイーンの映画がある。それも、ファッション界に居たら必須の映画。他人に対する深い思いやりの念を教えてくれ、笑え、泣ける。
何れにしても、人は、他人をなんらかの違和感や境遇で決して差別してはならないと思わされる。
ジョー・ブラックをよろしく
いまさら、数多あるラブロマンスの映画の中で、何もこの映画をと言う感じかもしれませんが、主演のブラッドピットと名前は分からないけれど、相手役の女優の美しい事。美しい表情、品性があると言う事がどんなに素敵な事であるかを教えてくれます。衣装も素敵ですが、人間が何より素敵。二人のラブシーンも、かってみた事が無い美しさと恥じらい、それだけでも感動します。人間て、人生をロマンティックに生きなければ、つまらないと、そう思います。それは、愛の問題はもちろん、仕事も、対人関係も。また、アンソニーホプキンスが、また、美しい。美しいばかりで、馬鹿みたいですが、本当にこんな素敵な映画も他に無いと思ってしまいます。
前述した他の映画・ビデオが、少々、毒気が強いものばかりでしたが、それだけに、この映画は、毒気も何も無くて、それでいて、後々、忘れた頃に、大切に見直す映画のような気がするのです。


北京バイオリン
最近、ちょっと前の中国映画と思いますが、
「北京バイオリン」と言う映画をビデオで見ました。
大泣きはしないのですが、ひたひたと長く胸の中に
涙を流させてくれる映画でした。
共産主義の中国ですが、人々は、インターネットで世界を知り、
芸術活動で、単純なプロパガンダの中にばかり居ないという事を
教えてくれます。
人間が素晴らしい!バイオリンが素晴らしい!。
芸術が如何に人にとって大切なものなのか、
夢や希望が人を前に向かって歩かせてくれる。
それが無かったら、見知らぬ国で地図も無しで歩くのと
一緒で、全てを見失ってしまうと。
話が単純では無い、展開がありきたりでは無い、
描き方や人の気持が奇麗事ではなくて、詰めもしっかりある。
それでいて、美しい心がどれだけ大切で、
今の日本人が喪失してしまっているかを
確認させられる映画です。

むしろ今の日本人の方が、幸せも不幸も
人間としての価値観や尊厳も失って、
幸せの形が一様化してしまっていると感じさせられる、
珠玉の映画でした。
ご覧下さい。

         
VILLEGE
会社から車で20分ばかりの場所に川崎チネチッタという処があります。ファッションとは縁遠い場所の印象がある川崎ですが、ここだけは、ちょっとパリの裏通りやミラノの小繁華街あるいはスペインの何処かを思わせます。レストラン・映画館・生活什器・服や装飾品、ホビーにわたる、あらゆる興味深いお店が、らせん状になった建物の中に軒を並べています。銀座や渋谷、新宿ですとファッション業界の人に偶然に会ったりすることもあり、カジュアル過ぎる姿で出かけていく訳には行きませんので、思いついた時に川崎のチネチッタをたずねる訪ねる訳です。先日、そこに映画を見に行きました。10本近くロードショーの中から、「Villegeヴィレッジ」と言う映画を選びました。

以前メルギブソンの「サイン」と言う映画がありましたが、それの続編の様に聞いており、映画の原作が他の作家の贋作であると、ちょっと悪評もあったので、期待もせずに見ました。見た結果は、凄い映画でした。感動しました。人を信じたくなりました。勇気と思いやり、真実な心と言うものが、どんなに価値があるか。また、兎角老年に達した人々の思想が軽んじられるこの日本の中にあって、年長者の立派さと、単に保守的と見られがちな中高年者の中にも、そう言う人ばかりでは無く、若者と変わらぬ純粋さと、愛するものを守るが故に、保守的で頑固と思われる行動を取ってしまうのだ、
と言う事を知り、深く感動しました。
ウィリアム・ハートが素晴らしく、「蜘蛛女のキス」の役者さんと同一人物とは思えない深く優しい演技でした。また主役の若い女優が素晴らしい迫真の演技で映画の始めは、何処にでもいそうに見えていたのに、中盤から、どんどん演技や表現力に拍車がかかり、圧倒され、女優と言う仕事、表現者と言う仕事の深く広い心と演技の領域に感服したのでした。また、全編に今の時代性とは異なりながら、とても引かれるアーミッシュ的な衣装も誠実を絵に描いた様で、美しく可憐でした。

   「バリーリンドン」
☆キャスト/監督スタンリー・キューブリック/出演ライアン・オニール/マリサ・べレンソン他/テーマ音楽サラバンド(ヘンデル)他
ファッションモデルであったら、この映画だけは見ておかなければと、
思わされる映画は、ルキノ・ヴィスコンティの映画と、このスタンリー・キューブリックの「バリーリンドン」と言いたい。
今まで、ヴィスコンティの映画は、ここに一部書いたのみであるが、
「山猫」、「夏の嵐」、「地獄に落ちた勇者ども」、「若者達」、「ベニスに死す」、「ルードビッヒ」、「家族の肖像」など、どの映画も気品と美意識に溢れ、豪奢な衣装と、本物の高価なアンティックや美術である。
これらの映画を見ただけで、ヴィスコンティの目を通して、提示されたものや内容に便乗して、突然アーティスティックになってしまう人を沢山見たものだ。すこし遠回りしたが、ヴィスコンティに比して、やはり巨匠のスタンリー・キューブリックの手になる「バリー・リンドン」は、荘厳な、ヘンデルのSARABANDを終始背後に流して、18世紀ヨーロッパの貴族や富裕な境遇の人々の生活と生き方の美の極致を見せてくれる。顔の3倍はあろうかと思われるポンぱドール風のヘアスタイル。蝋燭の光だけで、撮影したと言うが、浮かび上がる人々の白粉の白さ。
紅の乾いた赤さ。青春映画のアイドル美男役者位にしか思っていなかったライアン・オニールを名演技者として見せてくれる監督の宴出力。何処までも、悲しい程に美しいマリサ・べレンソンのトレーンをひいたドレス姿。物語は、女性の観客を切なさと美しさで引っ張りながら、やがて救いようの無い絶望とスケールの大きさを持って男性観客の
心をわし掴みにする。「2001年宇宙の旅」や「時計仕掛けのオレンジ」、「ロリータ」等の監督としてで著名であるが、一人の思い込の強い映画作家の仕事は、徹底した生き方を我々に示唆する。素晴らしい映画です。

以上、気のつくまま、思い出すままに、書き連ねました。
こんな映画もファッションモデルであれば見ておきたいと言う映画・ビデオがあったら、下のロゴマークからご投稿下さい。


J.P.I
 
  さらに偶然出合って、心に残った 
                 MOVIE AND VIDEO


戦火の馬
スピルバーグの「戦火の馬」素敵な映画でした。
馬がこんなに人間を慕い、かわいい生き物だと言うこと、
始めて知らされました。
上映前は、アカデミー賞の一番候補みたいに言われていましたが、
蓋を開けてみたら、とても大人しい結果となってしまい、
結局、何も取れず仕舞いでした。
然しながら、過去、あらゆる馬が出てくる戦争映画において、
騎乗の人は、沢山の犠牲が見えても、
殆どの場合、馬は、あまり死なないものです。
でも、「戦火の馬」の馬たちは、これでもかという程、
殺戮に会い、虐待され、それでも人間の為、
宿命の様に耐え抜きます。
確かに映画としては、文部省選定の様な、
毒のない映画ですが、それを越えるものがあります。
そして、主人公の馬に一心に愛情を注ぐ若者が
また、素晴らしいのです。
美しい目をした、純粋な人間性を表す表情は、
現代人が持っていないものです。
何の飾りも気取りもない青年ですが、
ラルフローレンの服が懐かしく似合いそうな
美しい佇まいの青年です。
そして、主人公である馬のひた向きさ、切なさを、
主演の若者の純情な心を受け止めるかのように
演じる馬の演技力の素晴らしさ??!
何とはなしにアカデミー賞を取る感じではありませんが、
それとは違う価値観をしっかり持った映画でした。
☆☆
「戦火の馬」の後、
アカデミー賞の視覚部門の賞を沢山取った、
マーティン・スコセッシ監督の「ヒューゴの不思議な発明」
を梯子して見ました。
こちらは、如何にも圧倒的視覚に訴えるCGの凄さを
見せつける映画でした。
でも、賞に輝いた映画なのに、
何故か、心には残らない映画でした。
期待しすぎていたせいかも知れません。
映画監督のクリント・イーストウッドの言葉に
アカデミー賞を受賞した素晴らしい映画はたくさんある。
そして受賞しなかった素晴らしい映画もたくさんある。
とにかくベストを尽くすしかないのだ。”
というものがあります。
その通りだと思います。
映画でも人間でもモデルでも
兎に角高い基準を置こうと考える人や物は、
その評価を考えるのは後にして、
ひたすら頑張るのが本当だと思います。
失敗するダメージを恐れて、前に進まないのは
ナンセンスだと思いますね。(2012/MARCH)


■エドガー■
クリントイーストウッド監督
不運にもアカデミー賞を取れてしかるべき、
レオナルド・ディ・カプリオ主演の「エドガー」。
ディ・カプリオは名演技でした。
映画も歴史のなぞり方が優れた重厚な良い映画でした。
でも、主人公のエドガーの人種差別性の強い人間性、
歴史上の高名な政治家で、ゲイであることのスキャンダル性を
描いていること等、公明正大な保守的な人々には、
受けなさそうな不運な映画でした。
でも素晴らしい作品です。(2012/MAR)

『猿の惑星(ジェネシスー創世記)』■

見てきました。
過去に作られた猿の惑星とは、まったく違うものでした。
全ての猿は、以前は特殊メイクで、人体が猿を演じていましたが、
今回は、全てCGです。
まったくの作り物です、アニメの様なものです。
ところが、表情や体の動きは、もしかしたら、人体が
演じる以上の生命感があります。
特に主役の猿の細かな心の動き、怒り、悲しみ、
決意が、目の動きや体から発散してきます。
映画としての内容も、とてもよく出来ていて、
前作の様な、ショッキングな『ドンデン返し』はありませんが、
静かに人間と猿の立場が、逆転して行くことを暗示させる結末が
字幕跡に出てきます。
多くの見せ場と、狂気、そして、
今一番の人気男優の一人であるジェームズ・フランコが、
静かに着実に演じていることが意外であり、
とてもリアリティをもたらしています。
■カウボーイ&エイリアン■
スピルバーグの総指揮により、007のダニエル・クレイグと
インディジョーンズが帰ってきたかの様なハリソンフォードの共演。
エイリアンが出てきながら、それが西部劇の時代であること。
英国人のダニエルクレイグが、アメリカンカウボーイになること。
いろいろ意外で、本当に面白い映画でしたが、
面白いのは、スタイルの良いダニエルクレイグが、
ローハイド(カウボーイの乗馬用革製パンツで、ズボンの上からはく)を履くと、アメリカ人のカウボーイは大概、O脚っぽく、
野生的で野卑に見えるのに
何故か、足がまっすぐで、まるでトム・フォードがデザインしたかの様に素敵に見える。
また、ダニエル・クレイグは、男性には珍しく、
全くセクシュアルな存在として、価値付けられていることに
新鮮な驚きを感じます。
ローハイドはヒップのラインが見える”はき物”ですが、
やたらとそれを印象付けるカメラアングルが多様されています。
また、それに反比例する様に、
細いウェストが印象付けられています。
007その他でも、必ず、ヌードを見せるダニエル・クレイグですが、
既成概念では、さして美形でもない容貌で、
またそれほど若くも無い年齢でありながら、
このカッコ良さは一体何なのでしょう。
勿論、エキササイズで、体の線を作り上げているのでしょうが、
通常の男性と違うことは、
それは、彼の肉体が服を呼ぶラインであることです。
それは、他の俳優には、あまり見られないものです。
007の時も、トム・フォードのスーツやタキシードが沢山出てきましたが、彼の体には、それが沿う様に一つとなり、
また、本人の発散する雰囲気が、服に負けないのです。
洗練とは、こういうことであると、改めて目を見張るのです。
共演したハリソン・フォードは、頑張っているのに、
ダニエル・クレイグの魅力を描くことに力が偏り、
共演というよりも、付き沿いの様になってしまいました。
折角良いところが見えているのに、
セクシーでなくなってしまったばっかりに,
ちょっと可哀想でした。

映画『イヴ・サンローラン』

サンローランと彼の50年にわたるパートナーであり、
サンローランの元社長、ピエール・ベルジュ師との仕事と
人生、その業績と終結を描いたドキュメンタリー映画。
今世紀最高のデザイナーであるイヴ・サンローランは、
ココ・シャネル、クリスチャン・ディオール、
ポール・ポワレと共に
ファッションを通して現代の美のミューズを
生みだした、偉大な一人であることは、ファッションに知識が
薄い人であっても、誰でもが知る事実。
殊にサンローランは、同時代と言ってもおかしくない程、
ついこの間まで、我々とモデル達にとっては、
仕事の相手でした。
その当時、サンローランのモデルとして、
沢山のモデルのマネージメントをしていましたが、
特筆すべきは、黒人のモデル達に関してです。
それまで、ファッションは、白人の為の、白人モデルによる
ショー構成とキャスティングが中心でした。
そんな時代の中で、サンローランは、
本人自身のアルジェリア(北アフリカ)への愛情が、
その服作りにも、大いに影響し、
有色人種を非常に大きなポジションで起用したことが
特筆されます。
その頃の、サンローランのマリエ(ショーの最後を飾る花嫁衣裳)
を毎コレクション、身にまとったモデル”ムーニャ”は、
身長も170センチ前後と言う小さいサイズでありながら、
コレクションの花として、ショーの全体的イメージの
象徴である最終の美を飾ったのでした。
サンローランは、優しく繊細で、性格の良い人であったと、
誰もが言いますが、服を作る過程の中で、
人種の壁を越え、偏見を超える博愛者であったことを偲ばせる
言葉を、前述した”ムーニャ”がコメントしています。
”サンローランは、それまでの私達黒人が抱いていた
コンプレックスを拭い去り、黒い肌に誇りを持たせてくれた
最初の服飾デザイナーです。”
彼女のその言葉が代表するように、
バラ色の肌をした白人モデルの狭間を
褐色の肌に黒曜石の目を持った黒人モデル達が
多数起用されたのでした。

社長のピエール・ベルジュは、クリスチャン・ディオールの
亡き後、メゾンで主任デザイナーとして仕事をしていた
サンローランが、ディオールを離れざる終えなくなった頃に
出会い、電撃的な恋に落ちてしまったたと、
ピエール・ベルジュ氏は、映画の中で語っています。
例として、正しいか否かは分かりませんが、
アレキサンダーが世界制覇の旅に出る時、
傍らに幼い日からの親友であり、恋人でもあった人間がいた様に
デザイナーとして、世界制覇を目指した、
イヴ・サンローランとベルジュ氏も、
互いが互いに無くてはならない運命的アラベスクのような
神がもたらした組み合わせであってこそ、
見えない大きな
課題と目的に向かい得たのであると共感します。
共にアートやアンティークが趣味で、
一緒に買い集めたコレクションは、
サンローランの死によって、
最早意味のないものになってしまい、
20世紀最大の業績をなしたサンローランと共に、
コレクションもピエール・ベルジュの元を
静かに去って行くところで、映画はエンディングを
迎えます。
大切な誰かがいてこそ、奇跡が起こせ、
ものが価値を持ち、息づくこと。
人間は、自分の為だけでは、
どんな財産や名誉があっても
生きていけないこと、教えてくれます。
願わくば、ピエール・ベルジュ氏の今後の余生に、
また光を与えてくれる人が現れることを
願って止みませんが、
今後この様なエキサイティングで創造的な、
出会いは、
”ありえない事”と、無言で言い終えて、
映画は終わります。
今更ながら、サンローランは、素晴らしい
と心から思います。


■ブラック・スワン
ブラック・スワン見てきました。
新人バレリーナの成功と挫折をサスペンスタッチで
描いた映画。
と、過去の映画であれば
描かれ、表現されるところですが、
ちょっとばかり、この映画は”出来”が違いました。
一言で言えば、
この映画で今年度アカデミー主演女優賞受賞を
取ったナタリー・ポートマンの圧倒的演技力とバレエの
技術表現力の素晴らしさによるもの。
そして、彼女という素材を得て、通常であれば、
不愉快であったり、嫌悪感をもようし勝ちな内容を
観客を錯乱と理解難易な状態に落ち込ませながらも
掴んで話さない監督の演出能力にある。
まるで、バーチャルで旅行をする観光映画の様に、
主人公の狂気を共に味わい、恐れ、
拒絶しながら、さらに共に突き進んで、
止めるに止められない運命と狂乱への旅路を
歩かざるおえない強迫観念を
共有してしまうのである。
純潔の美しさの後の、汚濁と混沌ふしだら、狂気を
ナタリーポートマンは、素晴らしく美しい顔と、
バレエによる鍛錬が顕著なボディで
アーティスティックに演じて行く。
ファッションモデルの人々にとって、男女共に
こんな共感する映画も少ないのではないかと思う。
徹底しているということは素晴らしいことであると
言うことを実感させてくれるプロフェッショナルな
映画です。

■ビデオ
『バーレスク』
昨年から話題であった、クリスティナ・アギレラとシェール主演の
ミュージカル?エンターテインメント映画
『バーレスク』が、ビデオになって、早速見ました。
昔、フラッシュダンスという映画があって、その時の踊りや歌も素敵で、
革新的でしたけれど、バーレスクも同じように、
昔から良くある下っ端のダンサー等の
成り上がり成功物語の系統です。
しかしながら、そこはやはり、それら過去の映画の実績の上に
一段階上に作られているはずです。
と思いきや、数段階上の凄い出来のエンターテイメント映画でした。
シェールの女性離れと言うか両性具有の人間離れの偉大さは素晴らしく、
バーバラ・ストライサンドがノーマルな巨匠ならば、
こちらはアブノーマルな巨匠です。
他に例を求められない存在感で、整形とロックで年齢は不詳です。
そんなシェールと競演する歌手でダンサーですから
クリスティーナ・アギレラは、それはそれは凄い
ダンスと歌唱を聞かせ、見せてくれます。
かつて、こんなに激しく、カッコ良く、美しく、
エキサイティングな人がいたかしら?
レディ・ガガ程、妖怪でないので、おとなしく感じますが、
実力は伯仲です。
美しい顔、ドスの効いたシャウト唱法、
体の切れが快い激しいダンス、凄いです。
参考になり、見てると燃えますので、
まだ見ていない方には是非ご覧になりますようにお勧めしたい。
ついでに申しますと、共演者の男性役者が、
とても繊細かつセクシーで、現代のファッションの息吹です。

ソルト
  アンンジェリーナ・ジョリーの『SALTソルト』見て来ました。
一言で言って、凄い映画で、今更ながら凄い女優と言うよりも
類まれな俳優でした。
俳優と言い直したのは、男女性の性別の価値観を超越した
人間的素晴らしさと冒険、熱意、
不可能への挑戦に溢れているからです。
映画の中でスパイを演じているからと言うだけでは無い、
嘗ての女性には余り見られない一人間としての責任意識、
女性的エゴイズムの範疇の中にない、人間としての
人格、誠意、生き方をデリケートな演技や表情の中に見せます。
また男性と変わらぬアクションを見せるアンジェリーナ・ジョリーですが、
その殆どはスタントを使わず、自ら過激なアクションを演じたそうです。
そして、今までも「ツ―ムレーダー」や「MR. AND MRS. SMITH」等で
アクションを見せて来た分けですが、映画「ソルト」で見せる
彼女の演技の深さ、心の重さは、脚本の優れている事に
裏打ちされているとは言え、他の女優では演じ得ない
力を見せます。
悲しく、哀しく、愛おしく、がむしゃらに自己の運命として
与えられた孤独の中で生きるロシア人スパイを
演じます。
セクシュアルな場面は殆どなく、
アクティブな演技と、美しい容貌、何もしなくとも
身に付いたファッション性は、
本来、男優が演じる筈であった、
この映画の主人公に、
幅と広がり、豊かさを持たせています。
なかなか無い映画で、アクション映画と文芸映画を併せた様な
胸が高鳴り、興奮し、しかも強く感銘を受けた映画でした。


                       「天使と悪魔」
☆キャスト/トム・ハンクス/ユアン・マクレガー/テーマ音楽ハンスジマー
ダヴィンチコードの続編と言われる、「天使よ悪魔」を見ました。
ダヴィンチ・コードと同じ主人公で、トムハンクス、同じ監督です。
Dコードは、素晴らしいと思いながら、眠りました。
「天使と悪魔」は、眠りから覚まされました。
作品自体のスピードが早く、アクション性が高く、
エキサイティングな展開です。
それでいて、美しく壮大で、圧巻のバチカン市国の建造物。
多くの人々が見たことのある外観と、ベールに包まれた内部。
悪魔と天使の背反、科学と宗教の対立。
そして、知的で中年の深い演技のトムハンクスと
美しく・エキセントリックで狂信的なユアン・マクレガー。
あらすじを解説するのは、いくらでもサイトがあるので、
割愛するが、大迫力で、気品に溢れ、
なおかつ超現代性に溢れた素晴らしい映画でした。
ラストシーン近く、映画の中での大事な部分である
神の創造を覆す「反物質」を携え、ヘリコプターで
上空へと飛び立ち、爆発するシーンは、
水色の電気反応を起こす、反物質が、
巨大な空にページェントの様にさく裂し、
悪魔であろう美しい科学の青が、やがて中世の絵画の様な
暗黒に近い空に変わっていく。
その美しい映像美は、過去の映画で滅多に見られない凄さ。
そしてその空から
希望の天使がパラシュートを広げ、落下してくる。
しかし、天使に見えたそれは、狂信的な
悪魔であったという意外な結末を導き出す。
端正で美しく・真実で純粋であった落ち着きある
ユアン・マクレガーの容姿は、やがて、
バランスを崩し、困惑した焦燥感に満ちた
悪魔の様相を呈していく。
そして、映画は終了し、エンドタイトルで流れる曲が、
また良い。
作曲は、グラディエイターでアカデミー賞を取った他、
沢山の名曲を作ってきたHANS ZIMMER(ハンスジマー)。
良い仕事をし認められる仕事をする人は、
発注者や大衆に必ず期待外れ感を抱かせることの無い、
完璧な仕上がりをする人であるのだと教えられる。


                        007「報いの報酬」
ダニエル・クレイグによる前作「007カジノロワイアル」があまりに
良かったので、今作「報いの報酬」も見てしまいました。
前作をさらに凌ぐ面白さ。
改めて再認識する男性のスーツの美しさ。
そして、美しいスーツ姿は、美しいボディが無ければ、
実現できないことも、いやと言う程、
ダニエル・クレイグが見せてくれます。
それは、セクシーと言うことの哲学と視覚をを他に類を見ない
勢いと時代感覚溢れる感覚と想念で世に問い、
老舗の旧態然としがちなメゾンに革命を起こさた風雲児、
GUCCIを再生し、サンローランをやはり偉大と再認識させた
クリエーティブディレクター、トム・フォードが衣装を
手がけているのです。主役脇役合わせて、
400体を作ったそうです。
映画がアクションであるだけに、
体にぴったりのセクシュアルなパンツラインは、崩れやすく、
従って、同じデザインで、2体作った片方は、同じに見えても、
足が広がりやすい、膝が曲がる、ヒップを突き出せる
ゆとりをマジックの様に織り交ぜて、パターンを起こしているそうです。
何処までも美しいタキシード。両腕を広げるとシェープされた
ウェストラインのカッティングは、芸術的ですらあります。
ダニエルクレイグも凄い!トム・フォードも凄い!
そして、ボンドガールは、前回と双璧のちょっとアジアンティックな
雰囲気を持った素敵な女性でした。


               ブロークバック・マウンテイン
2年前にアカデミー賞にノミネートされ、その受賞が絶対的であると評価されながら、その扱っているテーマが同性同士の20年間にわたる愛の物語である為、宗教的事由と右傾化した良きアメリカ人の品格に
添わないものとして、賞圏外に追いやられた話題作を、今頃になって初めて見たのです。そうして、最初は、何だか見慣れないものを見なければならない違和感とバツの悪さで、男女モデルさんと一緒に見ていて、やがてしっかり引き込まれていたのでした。主人公の青年二人の役柄は、はアメリカの望ましき、強い男性像であるカウボーイ。
そして、監督は、素敵な映画であった
”グリーンデスティニー”で
アカデミー賞を受賞した中国人のアン・リー監督。
以前であれば考えられないこのスタッフ構成。交流するはずがない対極の価値観。ところがそれが違う。
男性の鏡のカウボーイがセンシティブに愛の刹那さを表現するとなるとコレは東洋人の監督の手にゆだねると非常にナチュラルで、詩情溢れるものとなってくる。コレを見ていていると女性軽視ではないであろうが、女性が少々可愛そうな感じもする。しかし、説明の付かない無言の納得と理解と共感が、心を占めるのは一体何たる潜在意識であろうか。我々は、ファッションの世界に生き、あらゆる先入観念と偏見と形骸化した常識を覆す仕事に従事しているので、自由奔放で誰に後ろ指指される事も恐れはしない訳であるが、この映画の描く一般社会や特にカウボーイの世界では、余りに保守的で、抑圧的で、没個性的でたまらない。しかし堪らないからこそ、我慢したり忍耐したりする為に、人は純粋性や純情さを保持でき、他人や相手の気持ちの尊さに心打たれるものなのだ。映画のラストシーンで、
”永久に一緒だ!”と主人公が独白し、慟哭するところは少々恥かしい気がして、下を向いてしまうが、どうして恥かしいのか理由が不明でフロイトの判断にも正解はきっと見出せない。
オープニングのシーンでのヒューレジャースの表情と雰囲気が卓越して良い。ジェームス・ディーンのそれを思い起こさせる。不器用で、純朴で、洒落ていて、切ない。長くは生きない運命を背負ったような今、旬になって、短時間を真に燃焼して突っ走る儚さに満ち溢れてい。
ブロークバック・マウンテンの中のヒューレジャースは、どんな人も代役に立てないまるで、彼の為のものであり、彼自身であった様に、
その運命さえも憑依したようだ。2008年の初め、この切ない素敵な役者は夭折の天才俳優になった。


                       「フィラデルフィア」
今更ですけれど凄い映画.
トム・ハンクスは想像を絶する役者
WOWWOWで全く興味の無かった役者さんの
デンゼル・ワシントン特集と言うのが連日あり、
何気なく見たら、デンゼル・ワシントンがとても素晴らしく、
また、映画も面白かったので、翌日もチャンネルを回しスタンバイ。
映画は、トム・ハンクスが10年前、アカデミー主演男優賞を取った
「フィラデルフィア」です。
以前、同映画が封切りの時、劇場で見て、その映画の思い主題、
ちょうどエイズが大きな社会問題になっていた時代であった事、
また、トム・ハンクスの役がゲイのHIV患者で、
社会から酷い差別を受け、それに闘いながら死んでいくと言う
悲惨な演技のリアルさが強く印象に残り見るのに気が重かった。
しかし、結論から言うと、この映画は素晴らしい。
トム・ハンクスは、映画芸術のみならず、表現者の鏡の様。
コミカルで明るいアメリカの好青年で、将来を嘱望される
絵に描いた様なアメリカ青年像から始まって、
そして、忍び寄る病魔に肉が削げ、骨と皮になり、
やがては崇高とまでいえる精神美を自然な静かな
情熱的な演技で見せてくれ、
この世を去って行くまでの、圧倒的な演技”なりきる”とはこう言う事。
人は、何故に他人を傷つけ、他人の非を責めさいなみ、
偏見を持って切り捨てるのか。如何に自己肯定ばかりに
終始しやすいのか。人それぞれが違う事、
違っていることを大切に考えるべきこと。
人間の尊厳、真の愛のあり方の一つの形、そして、また、
表現者たるもの、ありきたりの取り組みでは、
本当に中途半端な成果しか上がらない事を教えてくれる。
モデルも表現者。左記したケイトモスのビデオが、
YOUTUBEで流れているが、やはり大したものです。
 
         

               ALWAYS 「三丁目の夕日」 
大分前に封切った映画らしいのですが、偶然ビデオで見ました。
役者の名前は、不案内で、分からないのですが、
倉本聡の「北の国から」に子役から出ていたり、
フーテンの寅さんの映画で光男と言う甥っ子の役で出ていた人が、主役。
原作は、この題名と同じ漫画だとか、、。

東京タワーの建設に取り掛かり、出来上がるまでの日本であり、
タワーの近くの下町が
舞台ですから、インターネットで調べたら
1958年に東京タワー竣工とありました。
映画の何が良いって、まず関係の無い外堀から言うと、
CGを駆使しての1958年の東京の姿がリアルに画面一杯に現れ、
まるで、どの様に撮影したのか想像もつかない位に上手く
撮れていること。
町並みを主人公が長距離に走ったりするシーンが出てきたりしても、
その時代のその街の風景が、全くの真実として、目に映る。
そうして、いよいよ内堀に話を移し、映画の内容だが、
現代に比して、その時代の人間の素晴らしさ。
信用できて、切なくって、いじらしくて、真実で、
それなのに世の中は、そんな彼らに過酷で、貧しくて、
思い通りにならなくて、じっと諦めてみたり、もがいてみたり、、
ただただ深く、静かに、感動して泣きました。
本当に良い映画。
みんな出演者が、何処にでもいる当たり前の人で、
風采も上がらない、迫力も無い人ばかりの中に、
手足が長く、美しい女優の小雪が出てきて、
最初は、今旬の女優だから視覚で使っているのだな、と
思って何だか一人不釣合いと思っていたところ、
泣きの原因は、そんなカッコの良い垢抜けた小雪の、
健気さ、儚さ、哀れさに泣かされたのでした。
今までに見かけたことが無いタイプの日本の、良い女優さんです。
元はモデルさんと聞きますが、
そんな形跡やつっぱりが全く無い、
奥深い心の深遠をぼんやりと見せてくれたのでした。

[ WORLD TRDE CENTER] VS [16BLOCKS]
ニコラス・ケイジ主演の「WORLD TRADE CENTER」と
ブルース・ウィルスの「16BLOCKS」を見てきました。
「ワールド・トレード・センター」は、やはり見ておかなければいけない、
と言うことで見て、9,11と言うテロ事件は、改めて
「大変な事だったんだなぁ!」と思います。
それは、今まで、如何なる戦争においても、
外国軍の本土決戦の経験のなかったアメリカ人にとって、
予想もしない、考えられない惨事だった。
映画は、ニュースで見た光景を近距離で見せていきます。
大地震が来ても心配の無い巨大ビルディングが、
まるで、積み木崩しの様に崩れていく事。
そして、コンクリートよりも軟弱な人間の肉体は、
無残にも,一片の石にも敵わず、飛び散り、破壊されて
数分前までは、人しての尊厳と自信とに溢れていた事など
嘘の様に、ただ瓦礫に押しつぶされ、
攪拌された骸(ムクロ)となってしまう。
ニュースを見て、想像していた事以上の、
リアルな状況が映し出される。
そしてどういう意図かは分からないが、何故か、飛行機が、
ワールド・トレード・センターに激突する瞬間は、
最後まで映像にあらわれない。
ただ、こういうタイプのアメリカ映画を見る度に思う事は、
もしかしたら政治的な意図が介入したプロパガンダ(広告)の
様なものが感じられる事が多く、兎角、綺麗事や英雄的な思念を
あおるものが多々みられ、映画としては単純な、
まるで、勧善懲悪のような筋立てになってしまう事、
惜しまれる。また、ニコラスケイジも、映画の主人公としては、
存在感が薄弱であったが、しかし見ておかなければならない映画であった。
さて、一方、ブルース・ウィルスの「16BLOCKS」はどうかと言うと、
いつものブルース・ウィルスのアクションかと多寡をくくっていた所、
とてもとても素晴らしい映画であった。
どう素晴らしいのか?脚本が良い、原作がしっかりしている、
アクションがリアルである等と生意気な事を言うつもりは無い。
一重に、ブルース。ウィルスよ、貴方は何て素晴らしいと
ファンでも無いのに一重に思った。
この役者さんは、前に「ジャッカルの日」と言う映画でも、
主人公の殺し屋をやった時に思った事だが、
なんだか、男の色気がある!。
切ないような”流し目”を駆使したり、何だか男の哀愁と
繰り返すが、男の色気がある。
映画の始まりで、頭が禿げ上がり、ヨタヨタの初老の男の姿で
登場し、ブルース・ウィルスも”老けたナー”なんて思わせておいて、
その後も、何ら変身をするわけでも無いのに、
なんとも、その辺の気障な色男なんて、全然色男じゃない!
と思わせる色男に見えてくるから不思議。
これ、一重に、役を解釈する役者ブルース・ウィルスの実力と
頭の良さ、胸の深さ、人間的魅力の賜物と思う。
以前、日本を代表する名女優の「杉村春子」さんの
自伝を読んだ時、その中に、
ある戯曲作家が、彼女に釘を刺すかの様に言う。
「役者と言うものは、どんな役柄をやっても、
その本人の精神生活に純粋なものが流れていないと
本当の魅力にはなりえない」。
それを聞いて、杉村春子さんは、愕然とし、しかし、
その言葉を一生胸に抱いて、女優として全うしたと、
いう事であるが、この映画のブルース・ウィルスにはそれが、
感じられる。
しかも、「16BLOCKS」の映画の内容は、エキサイティングで、
良く練られていて、一級の仕上がり。
アメリカ人好みの丸見えのヒロイズムも偽善も、
単純な勧善懲悪も無い。
この二つの映画は、真実の孕むドラマを筋を辿る単純さで描いた様に
見える前者と、虚偽のドラマに、ありきたりの発想では承服せずに
練って、考えて、悩んで作った後者の素晴らしさ、
同日、隣同士の映画館で、梯子をして見たために、
してはならぬ比較をしてしまった。

以前、日本を代表する名女優の「杉村春子」さんの
自伝を読んだ時、その中に、
ある戯曲作家が、彼女に釘を刺すかの様に言う。
「役者と言うものは、どんな役柄をやっても、
その本人の精神生活に純粋なものが流れていないと
本当の魅力にはなりえない」。
それを聞いて、杉村春子さんは、愕然とし、しかし、
その言葉を一生胸に抱いて、女優として全うしたと、
いう事であるが、この映画のブルース・ウィルスにはそれが、
感じられる。
映画俳優の価値観は取りもなおさず、ファッションモデルにも
当てはまる。どんな下品な服でも、暴力的な服でも、
また、モデル冥利に尽きるたまらない豪華絢爛素晴らしい服でも、
シンプルな服を着ても、ファッションモデルには根源的なPUREさが
無ければ勤まらない。
話を戻して、「16BLOCKS」の映画の内容は、エキサイティングで、
良く練られていて、一級の仕上がり。
アメリカ人好みの丸見えのヒロイズムも偽善も、
単純な勧善懲悪も無い。
この二つの映画は、真実の孕むドラマを筋を辿る単純さで描いた様に
見える前者と、虚偽のドラマに、ありきたりの発想では承服せずに
練って、考えて、悩んで作った後者の素晴らしさ、
同日、隣同士の映画館で、梯子をして見たために、
してはならぬ比較をしてしまった。


むしろ今の日本人の方が、幸せも不幸も
人間としての価値観や尊厳も失って、
幸せの形が一様化してしまっていると感じさせられる、
珠玉の映画でした。
ご覧下さい。


       
■パッション■

メル・ギブソンの監督によるイエス・キリストの最後の数日間を描いた衝撃の作品。以前に「偉大なる生涯の物語」と言うやはり、イエス・キリストの生涯を描いた映画がありましたが、その映画で映像に初めてキリストの姿が現れました。
それまでは、後姿や足元などだけが見え、キリストの人間的あるいは神としての姿を映像に出す事はありませんでした。
パッションでのキリストは、人間であり、神であるキリストの実像が、これでもかと出てきます。初々しく美しく明るい希望に満ちた青年として、預言者として。
そして、神の子としての苦悩と絶望を抱いた憐れな姿。予め分かっていた絶望的な運命へ、ただ「人間が犯した罪の購い」の為に救い主として向かっていくパッション。
キリスト者でないものには、分かりにくい心理は、あるものの
一度は見ておかなければならない重厚な、そして、もう一度見たいとは思えない、でも素晴らしい映画でした。
外国で上映された時には、その余りの残忍さに失神する人々も出てきたとの事ですが、本当に映画とは分かっていても、目を逸らさずにはいられないリアルな残虐性がこれでもかこれでもかと出てきます。それも時にある美意識を持って、、。
この映画を見ていると、人間と言うものが、性悪な因子を沢山持っていることを感じざるおえません。
誰でもが愚かで、集団心理に弱く、誰かが炊きつければ、どんな恐ろしい事にも加担してしまう因子。
嫉妬・憎悪・欲深き自己保全・排他主義等。
ナチズムにドイツの多くの国民がユダヤ人の殺戮へ、直接・間接的に手を染めてしまった如く。
しかし、そんな多くの人々の中にも、大衆のパッションに飲まれず、良心を持って生きようとするマイノリティ(少数者)がいる
ことに、人間と言う者への希望を見出させてくれます。
衣装は、全て美しく、化粧気のない砂嵐に乾き荒れた素肌が本当に美しい。やはり、外見の真の美しさは、内面の美しさなくしては、空しいものである事を痛感します。


■ポーラエキスプレス■

モデルさんの一人から、モデルになって始めての
”ギャラが入ったお礼に”と、頂いた映画のチケットで、
「ポーラ・エキスプレス」を見に行きました。
とても素晴らしい、夢に溢れた、勇気が与えられるアニメ映画でした。
何時までも、夢を抱き、人生に失望のあまり、
大人になるに従って、人間不信になったり、
他者に注意深くなって距離を置いたりしてしまいがちですが、
そんな事が、大切な人生にとってナンセンスであると
思わせてくれる、子供の心、純粋な心を呼び覚ませてくれる
クリスマスイブとクリスマスの一日を描いた
素敵なアニメーション映画でした。
絵で在りながら、立体的で、生きた人間と見紛う様な
その繊細な動きにビックリしました。
そして、声優のひとりであるトムハンクスがまた、
人物に生命を吹き込みます。
アニメなのですから、出演者はみんな「絵空事の人々」で、
作り物であり、この世に実在しない。
あの映画の製作と共に消えてしまった人々なのに、
妙な実存感があって、出演者の一人一人何処かで、
生きている様な気がしたものです。
チケットを下さったモデルさんのお陰で良いものを見させて頂きました。
有り難い事です。
人が与えてくれた感動の種で、それがまた、芽を出し、
仕事に対する夢と希望と信念となる新たな生命の樹を
育てさせてもらう誘因になるのです。
人は人によって道が開かれ、また人生を邁進できる事、
改めて感じます。

恋愛適齢期

■本当に良い役者はただ事じゃない■
久しぶりに、また良い映画に出会いました。
とっても素敵なビデオに出会ったので、報告します。
「恋愛適齢期」という題名で、主役のダイアンキートンは
これでブルーリボン賞を取ったとか?。
主役級が3人いて、ジャックニコルスンとダイアンキートン、
そしてキアヌリーブス。
前者二人の名演技、後者キアヌりーブスの清潔で素敵な抑えた演技。
役者もモデルもそれ以外の人々も、
優れた仕事をする人は何かが違う。
仕事の中に作戦だけではない、真心が済んでいる。
モデルもそうですけれど、心の中に豊かさや優しさ、子供っぽさと

大人っぽさが同居したものを持った表現者は、
見飽きない、引き込まれます。
もう一人、何処までも美しい女優がダイアンキートンの娘役で
出ますが、最初は、その美しさ、キュートさにたまらなく惹かれ、
映画の終わりごろには、肌の張りも衰えたダイアンキートンの
魅力に、娘役の彼女の美しさが若い事以外、何も見出せず、
印象も薄弱になっていくことに、人は、やはり
内面の美しさが外見に表出していなければ
空しく、それは若さばかりに価値観を置く日本人の
観念は浅はかであると思わされます。
でも、男性と言っても、やはり美しいキアヌリーブスは、
その深さがあることにビックリします。
冬の、雪のパリを舞台にしてのラストシーンは、
恋愛適齢期なんてものは、ありはしない、
正直で、心底には純情な気持を持っていて、
なおかつ不器用でも確かな生き方をしていたら
きっと素晴らしい愛のプレゼントがあると思わせてくれるのでした。
とにかく筋は書きませんが、とてもよい映画でしたので、
是非、ご覧願いたし。
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD4792/

 
VILLEGE
会社から車で20分ばかりの場所に川崎チネチッタという処があります。ファッションとは縁遠い場所の印象がある川崎ですが、ここだけは、ちょっとパリの裏通りやミラノの小繁華街あるいはスペインの何処かを思わせます。レストラン・映画館・生活什器・服や装飾品、ホビーにわたる、あらゆる興味深いお店が、らせん状になった建物の中に軒を並べています。銀座や渋谷、新宿ですとファッション業界の人に偶然に会ったりすることもあり、カジュアル過ぎる姿で出かけていく訳には行きませんので、思いついた時に川崎のチネチッタをたずねる訪ねる訳です。先日、そこに映画を見に行きました。10本近くロードショーの中から、「Villegeヴィレッジ」と言う映画を選びました。

以前メルギブソンの「サイン」と言う映画がありましたが、それの続編の様に聞いており、映画の原作が他の作家の贋作であると、ちょっと悪評もあったので、期待もせずに見ました。見た結果は、凄い映画でした。感動しました。人を信じたくなりました。勇気と思いやり、真実な心と言うものが、どんなに価値があるか。また、兎角老年に達した人々の思想が軽んじられるこの日本の中にあって、年長者の立派さと、単に保守的と見られがちな中高年者の中にも、そう言う人ばかりでは無く、若者と変わらぬ純粋さと、愛するものを守るが故に、保守的で頑固と思われる行動を取ってしまうのだ、
と言う事を知り、深く感動しました。
ウィリアム・ハートが素晴らしく、「蜘蛛女のキス」の役者さんと同一人物とは思えない深く優しい演技でした。また主役の若い女優が素晴らしい迫真の演技で映画の始めは、何処にでもいそうに見えていたのに、中盤から、どんどん演技や表現力に拍車がかかり、圧倒され、女優と言う仕事、表現者と言う仕事の深く広い心と演技の領域に感服したのでした。また、全編に今の時代性とは異なりながら、とても引かれるアーミッシュ的な衣装も誠実を絵に描いた様で、美しく可憐でした。


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